「おまえさぁ、何やってる訳?」 半分呆れた様な声に、喰鮫は振り向いた。 「何って……見てわかりませんか?」 笑って小首を傾げる喰鮫に、蝙蝠はヤレヤレと言いたげに肩を竦めた。 「あ〜、動物虐待?」 「まぁ、大方間違っちゃいませんね」 喰鮫の周りには、彼の手で細切れにされたモノが血飛沫の痕と共に散らばっていた。 肉片よりも羽の比率が多い所から見て、おそらくこの哀れな犠牲者達は鳥だろう。 喰鮫は彼が貪った獲物の血が斑に付いた顔に微笑を浮かべる。 「楽しいか?」 「楽しそうに見えますか?」 喰鮫の血塗れの手に、黒光りする大振りのクナイと赤く染まったズタズタの羽毛のついた鳥だったモノが握られていた。 薄く、微笑むように口の端を吊り上げると、喰鮫は蝙蝠にソレを投げつけた。 重く湿り、まだほんのりとぬくもりが残るソレを、蝙蝠は気持ち悪そうに受け取った。 「さしあげますよ」 「……一応食える部分は残してるワケね」 「鶏肉は好きなんですよ。それで鳥鍋でも焼き鳥でも何でも作ってください。材料提供者として食べに行きますから」 「きゃはきゃは。これっぽっちじゃ残念ながら二人分はねぇなぁ」 「もっとありますよ。下に落ちてるじゃないですか」 「そんな泥まみれの奴なんて食う気になれねぇな」 「洗えばいいんです」 「お前が洗え。それからもってこい」 だんだんと冷たくなってゆく死肉を、蝙蝠は血払いするかのように軽く振りながら、わざとらしいふてぶてしさでそう言った。 喰鮫は、肩を軽くすくめると、クナイの血払いを済ませそれを定位置へとしまう。 そして律儀にも、足元のまだ調理できる大きさで残っている泥まみれの肉片を拾い始めた喰鮫を、蝙蝠はしばらく黙ってみていた。 今、蝙蝠の手の中にある一羽を除いても、その血と肉の量は、おそらく4、5羽分はあるだろう。 「って言うか、よくもまぁお前みたいな殺気の塊にこんなに鳥共が集まってきたな」 「白鷺に鳥の呼び方を教わったんです。意外と簡単でしたよ」 「へぇ……んじゃ、その功労者の白鷺も、今夜の鳥鍋に呼んでやるか」 「おやおや……なんとまぁ悪質な嫌がらせですね」 「殺すために鳥の呼び方教わったお前には言われたくねぇな」 きゃはきゃはと笑いながら、蝙蝠は踵を返した。 ただで大量の肉が手に入ったのだ。久々に鳥鍋にでもするかと、ぼんやりと考えながら歩き出した蝙蝠は、一歩踏み出した、その足で真横へと跳躍した。 一瞬後に、蝙蝠が居たその場へ、大振りのくないが突き刺さる。 「……お見事。流石ですね」 「てめぇ……何がしてぇんだよ。殺す気か?」 「…あぁ、それもいいですね――いいですね、いいですね、いいですね……」 「よくねぇよ」 「冗談ですよ。ちゃんとあなたなら避けられる様に、思いっきり殺気を出してあげたじゃないですか」 「あぁそうだなそれが強すぎてマジで殺されるかと思ったがな」 不機嫌そうな蝙蝠に、喰鮫は「それはそれは」と、大仰に肩を竦めた。 一尺ほど飛んでしまった蝙蝠は、面白くなさそうに鼻を鳴らす。 「最近、人を殺してないんですよ」 「あぁ?」 唐突に、本当に唐突にそう切り出した喰鮫に、蝙蝠は眉根を寄せた。 「知らないんですか? 鮫は、泳ぎ続けなくては息ができないんですって」 「知らねぇよ……あ、何だ? お前、自分にとっての「泳ぎ続ける」事は人殺しだって言いたい訳?」 「ご明察」 「阿呆。こんな唐突な論法なら、誰にでも見当がつくぜ?」 呆れたように睨む蝙蝠の事などまるで見ていないかのように、喰鮫は今度は彼から蝙蝠に背を向けると、屈みこんで再び足元の肉を拾い始める。 ゆっくりゆっくり、怠慢ともいえる動きで、血溜りの中のそれらを選別しながら、拾う。 それはまるで、殉教者の骨を拾い歩く信者のようだった。 「ねぇ、蝙蝠」 ふと、手を止めると、まだそこに居るらしい、蝙蝠へと、喰鮫は呼びかけた。 「わたしは、どうすればいいんでしょうねぇ……人殺しができない場所で、わたしは生きてゆける自信がありませんよ」 蝙蝠は目を一瞬、見開く。 「自信が無い」などという台詞を、「傍若無人が忍び装束を着ている」と称される目の前の男から聞くとは、今の今まで思いもしなかった事だった。 「人の皮を破り肉を掻き分け骨を絶つ、あの感覚だけが、わたしに生を実感させる。このわたしの忍法でどんな屈強を誇っていた者でも赤く紅く染まる、あの感覚が、あの恍惚がなければ」 しかし、そんな蝙蝠の微かな変化を、背を向けている喰鮫には分かるはずもない。 一度、言葉を区切り、軽くいきを吸い込むと、喰鮫は言葉を落とす。 「わたしは、死んでいるのと同じ気がするんです」 呟くように、喰鮫はそういった。 ポタリと、彼の手から真紅の液体が落ちる。 「ねぇ、蝙蝠」 黙ったままの蝙蝠に背を向けたまま、喰鮫はゆっくりと立ち上がる。 「忍ばなくてすむ場所では、もう人を殺せなくなりますかね?」 そこで気がついたように、すぐにこうも付け足す。 「あぁ、一応言っておきますが、任務に手を抜くつもりは全くありませんよ? 仲間全員とわたし個人の「命」なんて、秤にかける事すらできるはずありませんからね」 「でも……」と、喰鮫はそこで初めて蝙蝠へと振り向いた。 そして幸か不幸か、傾きかけた太陽が丁度彼の後ろに回り、蝙蝠から喰鮫の表情を隠してしまう。 だから、蝙蝠に喰鮫の表情を読みとる事は、―彼の心情を読み取れたかもしれない最後の機会はなかった。 だから結局、蝙蝠には、このとき喰鮫が冗談を言ったのか、本音を言っていたのか、それすら知る機会は、なかった。 「この任務が成功すれば、私は、「死」んでしまうんでしょうか……?」 「……知らねぇよ」 蝙蝠の答えは、簡潔だった。 そのあまりの簡潔さに、喰鮫の反応が一瞬遅れる。 その隙を突いたように、蝙蝠は大げさな動作で肩をすくめて見せた。 「お前がどんな場所を想像しているかなんて知らねぇし、実際のところ、俺達が忍ばずにすむ場所なんか、あるかどうかすら俺には保障できねぇよ」 「特にお前みたいな奴がな」と、蝙蝠は付け加えると、喰鮫は苦笑した。 きゃはきゃはと笑うと、蝙蝠は独り言のように「少なくとも、この国じゃぁ、無理だろうな」と言った。 「俺もお前も、もちろんほかの連中だって、様は「忍」ぶ為に育てられた訳だし、案外忍ばずに居られる場所の方が息苦しかったりする事だってあるだろうさ。……ただ」 ここで蝙蝠は、喰鮫に向き直ると、口を頬の真ん中辺りまで裂くように、ニンマリと笑った。 「世界は広くて狭いらしいからなぁ。探せばあるんじゃねぇの? 俺たちみたいな奴らでも大手を振って歩ける場所」 蝙蝠は、高くきゃはっと笑うと、「俺達なら見つけられるさ」と付け足した。 喰鮫はしばらく、その顔を凝視するように見つめていたが、ややあってクックと笑い出す。 「あぁ……素敵ですね――素敵ですね、素敵ですね、素敵ですね……」 「おぅ、その素敵な未来を実現する為にも、今日は美味いもんでも食って精気を養うか。数日中には出発だしな」 「無論、わたしも呼んでくれますよね?」 「仕方ねぇなぁ……おかわりはなしだぜ?」 「……肉、返してもらいましょうか」 「冗談だって。さぁって、さっさと作って白鷺呼ぶか」 きゃはきゃはと笑いながら歩き出す蝙蝠の後を、喰鮫はゆっくりと付いて行く。 彼らの後には、赤黒い血溜りと、同じく赤く染まった羽毛が、夕日に照らされさらに赤く、赤く、染め上げられていた。 |