血溜りの中央で、ゴロリと横たわった。 もともと返り血で汚れた体を、さらに血と泥とで染め込むように二、三度ゴロゴロと転げまわる。 行為自体にさしたる意味は無い。 ただ、己の黒い忍び装束が、返り血を浴びた部分だけ更に黒くなった様に見えたから。 そのより深い「黒」で全身を染めてみたい、そう、思ったのかもしれなかった。 血と、泥と、何時の間にやら降り出した氷雨とが交じり合った地面の上を転げまわる男は、さぞ滑稽に見えるだろう。 が、その姿を見る傍観者は、今のところ視界にはいない。 居るとすれば、今現在、彼が転げまわっている場所にある数人分の肉塊だけだろう。 鼻腔には、血と臓物と脳漿の匂いが広がり、視界を埋める色は、夜闇の黒と「人」の赤だけ。 あぁ……と、息を吐く。 夜空を見上げても漆黒の雨雲に覆われていては星どころか月すら見えない。 この世にある色は、黒と赤だけなのではないか、という馬鹿げた錯覚にすら囚われる夜。 そうなのだとすれば、自分とこの場の境界線などあってないようなものだ、と、そう思うと血と泥で黒く汚れた頬が自然と少し釣り上がった。 「何やってんだよ」 その中に、唐突にあわられた「白」に、一瞬目を見張った。 純白の忍び装束。白の髪。 それらはこの場の夜闇に溶け込む事無くほんのりと発光しているかのごとく浮かび上がる。 それを少し眩しげに見ながら、その名を呼んだ。 「白鷺」 「うお」 「何しに来たんだ?」 「お前を迎えに」 さも当然のように、答える。 「『迎えに』、ねぇ〜」 口から出たのは嘲笑とも取れる笑い声。 それを聞いた目の前の頬が、歪に歪む。 「何が可笑しいんだよ」 「別にぃ? 白い服着たお前が「迎えに来た」な〜んて言ったら本当に「お迎え」みたいだなぁ〜何て」 「よく分からねぇ」 「だろうな。俺もわからねぇよ」 きゃはきゃはと、今度は普段どおりの声を出して笑う。 己を覗き込んでくる顔は、怪訝そうだ。 「わっかんねーんだよな〜〜」 「が何」 「わかんねー」 「よ−ねんかわが俺」 「うん。それもわかんねー」 「………」 延々と続きそうな押し問答に、軽い息が吐かれた。 上から見下ろしてくる視線を見て、「あぁ、コレが本当の『見下し』って奴か」とあまりにもどうでもいい事を思う。 そぅっと手を上げて、その白装束に触れると、血と泥とその他なんだかよく分からないものでくっきりと指の痕が残った。 まるで、そこだけ何かに侵食されたように。 そのまま線を描くように、指を這わす。 無駄に服を汚されるのが嫌なのか、不快そうな顔で振り払われた指先を見てみても、やっぱり黒いままで。 それが少しだけ、残念だった。 ほんの、少しだけ。 「あ〜あ。白くなるかな〜とか思ったんだけどな〜」 「染め抜きの手袋が白くなるわけねぇだろ」 「そりゃそうだ」 「無駄に俺の一張羅を汚すなよ」 「別にいいじゃん。お前が目立ちすぎなんだよ」 忍びらしくねぇな、と言えば、そこは突っ込むなと返された。 当然だと思い、自然とつりあがった頬に、唐突につま先がめり込む。 「ぇめて、マジで何がしてぇんだよ」 へらへらしやがって、と、不機嫌そうにぐりぐりとつま先をめり込ませてくる。 違うんだよなぁ、欲しいのはこんなモノじゃぁないんだがねぇ、なぁんて下らない事を思ったり何かして。 その足を両手で取って、舐めるように真っ赤な舌を出して、挑発するようにわざとらしい上目遣いで見上げる。 何時来るかと待ち望んでいたモノは、そのときに贈られた。 取られた足を引き剥がし、そのまま振ってきた痛烈な蹴りは、正確に下顎を捉え、視界がグルグルと二、三回回転した。 「……いってぇの」 「自業自得」 素気無い台詞の後、フンッと吐かれた鼻息がやけに大きく聞こえた。 口の中で異物感と新しい血の味がする。 その素を吐き出せば、血と唾液がこびりついた歯が一本、泥濘の中に転がった。 なぁんだ、歯もやっぱり、完全な白じゃねぇんだな、と、納得したと同時に、どこか残念に思う。 「らお、立てよ。帰るぞ」 当然のように差し出された手に、一瞬、躊躇する。 先ほどは自分から触れておいて今更と言う気はするが、それでも、と、その手を取らずに自分で立ち上がる。 「よだ何? ぇめて、俺の好意を無下にしやがって」 「いらねえよ、そんな好意」 欲しいのは、もっと別のもんだ。と、言うと、眉をコレでもかと言うほど顰められた。 そのしかめっ面目掛けて真っ赤な舌を見せると、ペッと血痰を吐き出す。 下顎を蹴られたせいか、まだ少し、頭の中がグワングワンと揺さぶられている感じがするが、大した事ではない。 「てめぇのそういう『好意』なんて、ほしくねぇ」 「言うじゃねぇか。変態蝙蝠野朗」 「きゃはきゃは。変態逆様野朗に言われたくねぇなぁ」 普段どおりの笑い声を作って出せば、周囲の空気が少し冷えたように感じた。 あぁ、ちょっと怒らせすぎたかな? と、反省はしてみる、が、後悔はしていなかった。 無言で胸倉を鷲掴みにされ、鼻と鼻とがくっつきそうな距離で睨まれる。 「ぇめて、ふざけるのも大概にしろよ」 「生憎コレが性分なんでね」 笑顔でそう言ってやると、胸倉を掴む手に力が込められる。 あ、と言う前に、視界が一回転すると、ベチャリと音を立ててもう一度地面へと押し倒されていた。 馬乗りになった、その顔は、影になっているせいか普段より凄味がある。 「俺を怒らせて愉しいか? ぁあ?」 「さぁね。愉しくなくはない? ってか?」 「……す殺」 「きゃはきゃは。そりゃいいな」 殺したいくらい愛してくれちゃってんの? 戯れにそう、問うてみると、胸倉を掴んでいた指が、唐突に緩んだ。 「……何処からどういう思考を辿ればそういう結論になるのかがまずわからねぇ」 「まず? 何、他にもわからねぇことあんの?」 「るあ」 「何だよ? 冥土の土産に何でも答えてやるぜ」 いや、この場合俺が冥土に行くんだから逆か? と笑って見せると、かなり深いため息が吐かれた。 「……ゃじ、ろえ答。『お前、何やってんの?』」 それは、最初に問われた質問だった。 「………きゃは」 「『きゃは』じゃねぇよ」 「『意味のねぇ事』。じゃ、駄目か?」 「…………ぇ汚」 「そういう存在が、俺達だろ」 そういってやると、肩を竦めて「あっそ」、と、流される。 嘘だった。 少なくとも、『意味の無い』事では、なかった。 ただ、他人に長時間化けていると、自分と他人との境界線があやふやでうやむやになってきて、どうしようもなく不安になっただけだった。 だから、いっそ、この闇との境界線まで無くなってしまえばいいと思ったのだ。 この永久に広がっていそうな闇に溶け込んでしまえれば、そんな不安など感じなくなるのではないのかと。 元々あやふやな境界なら、いっそ無くなってしまったほうが、楽だ。 そう、思っていた矢先、そんな自分とは真逆のくっきりとした境界を持った「白」が現れたから。 だから―――― 「――う〜〜ん……俺って馬鹿らしい」 「今更何を言ってんだよ。お前は元々馬鹿らしい奴だろうが」 「うっわ、ひでぇ」 だから、その「白」が――コイツが少し、欲しくなったと。 そんな自分で思うのも馬鹿らしい思いを素直に言えば、もう一度蹴られそうだな、と、相変わらず黒しか見えない空を見上げて思った。 |