「………」


 森の中の小さな古い掘っ立て小屋。
 そこが、現在の彼のねぐらだった。
 彼の家とも言えるその小屋には、彼以外住む人は居ない。
 居ない―――ハズだった。


「…………ぐぅ」
「…………」

 
 しかし今、彼の家のど真ん中には、一人の少年が横になって眠っていた。
 おそらく、読んでいるうちに眠くなったのだろう、彼の本を開いたまま枕にし、字が滲むほどの涎をその上に垂らして。


「……………」

 彼は、眉間に深い皺を寄せ、ため息を吐いた。
 とりあえず、買ってきた荷物を脇に置き、片足を上げ……


 ボスン
「んがっ!」


 少年の腹の上へと一歩、踏み込んだ。
 足の下でバタバタと暴れる少年を、出来うる限りの冷やかな目で見下してやる。


「起きたか」
「お、起きた起きた起きた!! だ、だから足どけろ!!」
「『除けてください』」
「ど、除けてください!!」
「誠意が感じられん」

 さらにグリグリと足をめり込ませてやると、少年は涙目になりながら彼からすると情けない悲鳴を上げる。

「鬼!! 悪魔!!」
「何とでも言え」
「自分より年少の者を苛めて楽しいのか!? この嗜虐趣味!!」
「黙れ糞餓鬼。人の家に勝手に上がりこんだ者の言い草か」
「おぬしが一緒に買出しへ連れて行ってくれないからだろう!?」
「貴様のような目立つ奴を連れて歩けるか」
「だからここで待ってると言ったら、おぬしは「好きにしろ」と言っただろうが!!」
「『ここ』と言うのは家の前の事だろう。家に入っていいとまでは言った覚えはない」
「鬼!!! 悪魔!!! 鬼畜!!!」
「五月蝿い。少し黙れ。足をコレ以上下へ下ろされたくなかったらな」
「―――っ変態!!」
「何を言う。人体の急所を生かさず殺さないギリギリで責めるのは拷問の基本だぞ」
「おぬしは我を拷問したいのか!?」
「…………」
「そこで黙るな!! 真面目に怖い!!」

 足をゆっくり降ろしてやると、少年は体をくの字に曲げてゲホゲホと咳をする。
 よくよく見ると、少年の頬には黒い墨のあとがくっきりと残っていた。
 さて、コイツは何時、それに気づくか。
 自分から教えてやる気は、もちろんない。
 涙目で下から睨んでくる少年を無視して、彼は買って来た品物をもう一度持ち上げ、食料を定位置へと置きに行く。
 その背後では、少年が起き上がる気配がする。
 背中に感じる視線を発する目が容易に想像できて、呆れより先に良くもまぁここまで感情を露わに出来るものだと感心してしまう。
 尤も、片付けが粗方終わり、もう一度少年と向き合ってみると、やはり想像通りの目でこちらを見ていて、何処まで単純な奴なんだと今度は呆れが前に出たが。

「なにも踏みつける事は無いだろうが。あぁ痛かった……」

 ブツブツと文句を言う少年に、彼はため息を一つ吐くと、少年の傍に落ちているモノを手に取り、ソレを目の前に突き出した。

「―――コレを見ても?」

 彼の手の中には、少年の涎の跡がべっとりと付き、字が滲んでいる本。

「…………」
「…………」
「………ごめんなさい」
「……………」

 下げられた少年の頭を、彼は駄目になってしまった本で殴る。
 思いのほかいい音が狭い室内に響き、「いてっ」と漏れた少年の声がそれに重なる。

「うぅぅ……殴られたのは今日二回目だ……」
「何を言う。さっきまでのはどちらかといえば蹴りだぞ」
「あぁ、違う違う。一回目は里の友人からだ」
「………ほぅ」
「実はちょっとした約束をしていたのだが、その日に任務が入ってしまってな。多分その当てつけだ」
「ずいぶんと暴力的な友人だな」
「……おぬしがそれを言ったらアイツに失礼な気がするが……普段はそんな事はないぞ。年下だが、 しっかりしたいい奴だ」
「お前と違って?」
「…………そんなに大切な本だったのか? いつも以上に意地が悪いぞ……?」
「別に」

 素気無く答えた彼に、少年は疑わしそうな、それで居て少しだけバツが悪そうな顔をした。
 あぁ、これは始めてみる表情だな、と、何の気なしに思う。
 まだ長いとは言えない付き合いだが、この少年の表情は大概見尽くしたと思っていたのに。

「………ごめん、な?」
「何が」
「やっぱり、怒ってるのか?」
「別に?」
「…………」

 俯いて黙りこんでしまった少年のこちらを向いている頭のてっぺんを見ながら、彼はボンヤリと考える。
 別に彼は本を駄目にされたことには怒ってはいない。
 いや、全く怒っていないと言えば嘘になるかもしれないが、そう特別怒っている訳ではない。
 なら、と、彼は自分に問いかける。

 自分は何がこんなに気に入らないのだろう?

「……友人の機嫌を害したのなら、今日はその友人との約束事を先にしてやればよかったのではないのか?」
「いや、無理だ」
「何故」
「里から一里位離れた所にある村で、今度小さな祭りがあるらしくてな。それに一緒に忍び込もうと言っていたのだ。祭りをやっていない村に忍び込んでも、精々殺ししかやることがない」
「そうか」
「…………何か、さっきよりも怖い顔になったぞ?」
「そうか?」

 そうだ、と少年は言うと、う〜んと唸りながら頭を掻く仕草をした。
 何故彼の機嫌が悪くなったのか、その原因を考えている様だった。
 無駄なことをする奴だ、と、彼は思う。
 彼自身、その原因がよく分かっていないのだから、いくら考えたって無駄なのに。

「………何故、待っていたんだ?」
「ん?」

 グルグルと回る脳内の己への疑問をとりあえず置いておくことにして、彼はとりあえず場繋ぎ程度の疑問を出す。

「何故、私を待っていたのかと聞いている。お前には他にも友人なり仲間なり、大勢居るのだろう? 暇で寝る位なら――私の本にこんなに涎を垂らすほど寝ていた時間なら、そいつ等と修行なり遊ぶなり何なりと出来たはずだ」
「…………」

 言った瞬間、あぁ、もしかしたらこの疑問が全ての根底だったのかもしれないと思う。
 先ほどの話にも出た友人の様に、少年には他に大勢の仲間が、知り合いが、友人が居るのだろう。
 ならば、わざわざ独りっきりの自分を何刻も一人で待つ必要など、ないのではないのだろうか?
 理由がない
 意味がない
 義務がない
 そんな無意味なことを、何故、この少年はしているのだろう?


「そんなもの、我がおぬしと話しをしたいからに決まっているだろうが」


 しかし、そんな彼の思考を丸ごと飛び越えて、さも当然の事を言うかのように少年はそう言った。
 それを問われたこと自体に驚いているかのような表情で小首を傾げると、「どうかしたのか?」と接いで来た。
 話したいから
 ただそれだけ
 これは……生まれて初めて言われた言葉だな、と、まだ動く頭の部分が言う。
 さぞ、間の抜けた顔をしていたのだろう、彼の顔をしばらくマジマジと見ていた少年は、ふと、何かを思い出したような表情で、手を打つ。


「あ、言い忘れていた」
「――何をだ?」


「おかえり、××××」


 ニッと笑って、少年はそう言った。
 彼の名前を呼んで、明るく優しい口調でそう言った。
 言うにはあまりに遅い、しかしあまりに当たり前で、そして初めて聞く言葉の次に発せられたあまりに懐かしい言葉に、反応が遅れる。



「――――――――ただいま」




   久々にその言葉を言った瞬間、妙に頬の辺りがむず痒くなった。






 最初の方、若鳳凰様「!」マーク多すぎ。読み返したら、大変恥ずかしい。。。
 まだ、そこまで仲良くなっていない頃のイメージ。ほぼ鳳凰さまが一方的に慕ってる感じ。
 左右田は慕ってくる鳳凰さまを邪険にしつつ、その実、訪ねてこなかった日は気にしてたらいいな、 何て。