その日は、異様に視界の悪い日だった。
 いつも待ち合わせる森の中は、濃霧が立ちこめ、常人よりも卓越した視力を持つ彼にも、五間離れた場所すらよく見えなかった。
 空にはどす黒い雲が隙間無く浮かび、本来の色を覆い隠している。
 これは、今日は来ないかもしれないな、と、彼は思う。
 天気が悪いと、里を抜け出す時に目立ちやすいのだと、一度、雨の日の約束を無断で破った友人が、謝罪と共にそう言っていた。
 もし、雨が降ってきたら、今日は帰ろう。
 そう思い、彼は体を預けていた木の幹を伝うように、根元へと座り込んだ。

 来なければ、次の日にもう一度同じ場所で会う事にしている。
 今日会えなくても、明日また、会える。
 この季節の雨は、そう長続きしないはずだから、雨が止めば、また会える。
 しかし、この濃霧。ひょとすると、里の抜け出す手助けになっているかもしれない。
 もし来たら、今日は何を話してやろうか。それとも、久々に組み手でもするか。
 
 そんな事を考えていた、矢先だった。

 
 微かな殺気


 反射的に立ち上がり、辺りを警戒する。
 幹に背を付け、背後を取られぬように神経を研ぎ澄ませて……

 パキン、と、木の枝が踏み折られる音がした。

 音源は、霧に閉ざされた目の前から。


 サクサクと、草を踏む音。
 霧の中のボンヤリとした輪郭が、徐々にはっきりとあらわになって……
 
 その姿を完全に認識した瞬間、息が止まった。


「―――××××――?」


 待っていたはずの友人の姿。
 しかし、その雰囲気は、今まで彼が感じていた不安定で柔らかな暖かさは微塵も感じられなくて。
 
 まるで、そう、彼が生業としている仕事に出かけるような。
 これは、そう、人を殺す、空気だ。

 特徴的な、忍び装束。
 長い黒髪。
 スラリとした体躯。
 どれを取っても彼の友人、その人なのに。

 その瞳は、完全に暗殺者のそれだった。


「―――どうした? ……任務でも入ったのか?」
「…………」


 友人は、無言で頷く。


「そうか……残念だ」
「あぁ――全く……」



 「残念だ」、と、友人の唇が動いた、その瞬間、鋭い殺気が感覚を焼いた。


 鳩尾から、火が吹いた。




「――ッ―――!!」


 手をやると、そこに収まっていたのは、真庭忍軍の、苦無。
 

「―――な――」
「任務だ」


 感情を感じさせない声音で、友人は淡々と告げる



「死んでくれ、我が友よ」



 霧で、そう言った彼の表情は見えなかった。


「――――っ!!」

 何かを言おうとした。
 が、喉から競りあがってきた血液が、それを押しとどめる。
 ゴボッとどす黒い血が、唇から漏れ落ちて、彼は思わずその場でよろめく。
 木の幹にもたれかかる様な格好だが、何とか立ったまま、キッと目の前の友人を目付けた。
 

 名前を、叫ぶ。  血痰交じりの喉で。
 友人の名を、彼は呼ぶ。



 友人の顔は、見えない。
 友人の顔色は、窺えない。
 


 正確に急所へと突き刺さった苦無が、徐々に彼の生命を吸い取ってゆく。
 目が霞む。
 それは決して、濃霧の所為ではなくて。


 ゆっくりと、友人が、歩みを進める。



 友人の顔が、見えない。
 友人の顔色が、窺えない。



 ずるずると、幹を伝い、体が落ちる。


 死ぬ


 殺される


 でも、何故?




 胸倉を掴まれ、引き倒される。
 鳩尾に収まったままの苦無を一気に引き抜かれると、口から血潮が吹き出される。

 彼の血で、両手を染めた友人が、ゆっくりと、彼に、馬乗りになった。

 ヌルリとしたものをまとった手が、ゆっくりと喉へと絡められる。




「―――な――ぜ――っ」


 じわじわと締められる首。
 霞む視界。
 詰まる息。



「何故? 何を言っている?」



 冷たい声が、耳鳴りのする耳の中へと滑り込む。



「当然だろう? 貴様は我らの敵、『相生忍軍』の末裔なのだから」

「――――!!」


 息が、一瞬、止まった。


「よもや、我と本気で馴れ合えると思っていたのか? 我の言葉を鵜呑みにして? 友人? 笑わせる」


 視界が、霞む。
 息が、詰まる。


「卑怯と卑劣が、我ら忍者の売りというものだろう? その言葉を信じるなど、どうかしているとしか思えんな」


 視界、が、歪む。
 息、が、出来ない。


「我と貴様の間に、まさか本気で『友情』というものがあると、貴様はそう、思っていたのか?」



 目には見えぬモノは信じるに値しない。
 例えば、それは、愛情
 例えば、それは、真情
 例えば、それは――友情
 いくらでも取り繕う事ができる、人の感情は、その最たるもの……



「そう、言ったのは、どの口だ?」

「―――――っ」



 淡々と、淡々と、淡々々々々々々と。
 落とされる言葉。
 


「我は、お前とは、違う」



 曝け出された心の傷口に、冷たい指先が触れる。



「我には、お前なんかより、大事なモノが、山ほどある」



 その指は、以前その傷に優しく触れて、撫ぜてくれたものと同じなのに。



「だから、お前なんか――貴様なんか、要らない」



 今は、爪を立てて、傷を抉り出す。



「死ね。××××」



 喉に絡んだ手に、力が込められる。
 無意識に掴んでいた、相手の腕は、不自然なほど、震えていて。


 意識が消える最期の瞬間、頬に数滴の『水』が落ちてきた。




 嗚呼、雨ガ、降ッテ、来タ……
 ナラ、今日ハ、モウ、会エ―――ナ―――





 ……………………………









 心理描写、上手くなりたい……