「蟷螂さん」 蟷螂さんの私室の中、背後からの僕の突然の問いかけに、蟷螂さんは書物へと落していた目を一瞬だけ僕に向けた。 本当に、一瞬だけ。視線が絡まりあう間もなく、蟷螂さんの視線はすぐに書物の上へと戻る。 僕は少しだけ嘆息を漏らす。もう少し位僕の姿だけでも見ていてくれてもいいのに。 日光は暖かいを通り越して少し暑く、もうすぐそこまで来た夏の到来を否が応でも僕たちに知らせていた。 どちらかといえば寒がりらしい蟷螂さんは、夏は好きだと言っていた。 「僕もです」と言うと、薄く笑って頷いてくれたことを、今でも覚えている。 実を言うと、僕は夏よりかは春の方が好きだったりしたのだが、その時の蟷螂さんの苦笑にも似た小さな笑みを見てから、この人の前でだけは、春より夏の方が好きになってしまったようだ。 自分でも馬鹿らしいと思わないでもない。でも、紛れも無い、それは事実。 「もうすぐ夏ですね」 「そうだな」 パラリ 紙が捲れる音と共に、そう返される。 「蟷螂さんの、好きな季節ですね」 「そうだな」 パラリ 定期的に動く瞳に、同じく定期的に捲られる書物。 着ている着物は忍び装束ではなく、落ち着いた色合いの着流しで、緑がかった蟷螂さんの短い黒髪にそれがよく合っていた。 「今年は暑くなるそうですよ」 「そうか」 「僕の忍び装束じゃぁ、ちょっと暑くなるかも知れませんね」 「そうだな」 「どうせなら、アレ、取っちゃいたいんですけど……あぁ、でも鳳凰様は、全然平気そうですよね。あの方も、僕と同じようなの、付けていらっしゃるのに。やっぱり暑いと思うのは僕の精進が足りないんでしょうかねぇ」 「あ奴は特別だろう」 クスリ、と小さく微笑む気配。また一瞬だけ、僕と蟷螂さんの視線が合う。 それまでの相槌とは違う反応に、僕は嬉しいと感じる反面、胸に何かがチクリと刺さる感じだ。 パラリ また、書物を繰る音が、静かな部屋に微かに響く。 蟷螂さんの視線は、気がつけばまた書物に落とされていて、僕の事など意識の外に存在ごと置いているように思えた。 そんな位置にしか居ない僕はと言えば、胸の中に先ほど刺さった何かが、ジクジクと食い込んでいくかのような、そんな感触を無視するかのように言葉を紡ぐ。 「そうですか。ですよね。でも、僕も鳳凰様までとは言いませんが、もっと我慢できるようにならなきゃ駄目ですね」 「そうだな」 相槌が、元に戻る。 それは蟷螂さんにとっては無意識下の事なんだろうけど、僕にとってはそれがちょっと悔しかった。 例えば、鳳凰様以外の人の名を出してみて、僕に向けられる言葉とは違う言を言われたとしたら、きっともっとずっとこの感触は大きくなるだろう。 もし、そうなってしまったら、僕はきっと、嫌いになってしまう。 蟷螂さんの無意識の内に居る人を、きっと羨んで、妬んで、嫉んで、嫌ってしまう。 それは、嫌だ。 僕は蝶々さんも蝙蝠さんも白鷺さんも喰鮫さんも、鴛鴦さんも川獺さんも人鳥さんも狂犬様も海亀様も、もちろん鳳凰様も、大事で大切な仲間だと思っている。 有体に言えば、好きだ。どれだけ謙虚に言っても、皆に好意は持っている。 昔は、蟷螂さんも、同じはずだった。 それが変わってしまったのは、何時ごろからだっただろう……? ただの「 「…蟷螂さん」 「…………ん?」 「……好きですよ」 「そうか」 「あなたが好きです」 「……そうか」 「大好きです。蟷螂さん」 「…………そうか」 貴方の中で、僕の言葉はどんな風にして受け取られているのだろう。 言葉だけを少し変えた同じ意味を持つ言葉に返される言葉は、皆同じ。相槌以外の何者でもない。 そこには、感懐も感応も感興も、感情すら籠められているようには聞こえなくて。 もう少し、字数を増やすことができれば、もっと深く伝わるだろうかとは思うけれども。 そうすれば、貴方の言葉にも違いを見出せるのかも知れないけれど。 それでも「 |