「釣れたか〜?」 「いんや、まだ足んねぇ」 「今何匹?」 「五匹。お前は?」 「んんん〜? 六匹」 「嘘をつくな嘘を。見てたぞ、まだ三匹だろうが」 「きゃはきゃは。知ってんなら聞くんじゃねぇよ!」 「お前もくだらねぇ見栄を張んなっての」 穏やかに流れる川の水面に、二本の釣り糸が垂らされていた。 その中の一本がピクンと揺れると同時に、引き上げられた糸の先には、よく肥えた鮎が一匹食らい尽いている。 川獺は、得意気にそれを針から外し、傍の魚籠に入れる。生きのいい魚は、籠のなかでピチピチと跳ねていた。 それを蝙蝠は面白くなさそうに見ていた。 「大体、なーんで頭領になったはずの俺達が同じ頭領の連中の分まで魚釣りに勤しまにゃなんねぇんだ?」 「あ〜ん? お前がまた馬鹿やらかしたとかじゃねぇの?」 「いや、今日はまだ何もやってねぇよ」 「まだを強調するあたり、何かやる気だったんだろぅがよ。ま、仕方ねぇんじゃねぇの? 俺達まだ頭領とは言っても新米だし」 「ちぇっ」 「第一、人手が足りねぇんだ。この位ただの遊びだと思やぁ、楽しいだろ」 「お前は元々好きだからだろうが」 「釣りは男のロマンだろ」 「爺くせぇ。海亀の爺さんかよ」 「あいつと一緒にするんじゃねぇ」 「へーへー」 本気で嫌そうな川獺の反応に、蝙蝠は肩を軽くすくめる。 会話の間に針に新しい餌をつけた川獺は、再び釣り糸を水面へとおろす。 「今晩頭領招集があって、一緒に出される夕飯が魚ってのは、全然全くかまわねぇんだけどなぁ〜」 「そういうな。いいじゃねぇか。久々ジャン? 俺ら二人っきりってのも」 「きゃはきゃは、かえって危険な匂いを感じちゃうvってか」 「そうだなぁ〜ちょうど周りに人影はねぇしなぁ〜」 「マジで言ってるのか?」 「マジで言って欲しいのか?」 「冗談。変態は喰鮫一人で十分だっての」 「それは同感だな」 二人はニヤリと笑う合うと、再び水中の釣り糸へと視線を落とす。 透明な川の流れに逆らわずに川下の方へと流れてゆく糸は、待てども待てどもピクリとも動かない。 蝙蝠は大きな欠伸を一つすると、涙の浮かんだ目を擦る。 顔いっぱいに「厭きた」と書かれたその顔に、川獺は苦笑して見せると、わざとらしく咳払いをしてみせた。 「……なんだよ……」 「いんや、何でも。ここじゃもう釣れそうにねぇし、そろそろ釣り場所変えるか」 「もういいじゃねぇか。九匹もいりゃ十分だろ」 「全員に一匹ずつじゃねぇと、後々文句言われそうじゃねぇか?」 「いいよ。お前が選んだ場所が悪かったって事にしておくから」 「んじゃ、俺はお前が釣ったのは三匹だけだって事も報告しようかね」 「せこっ」 「お前が言うなっての、ばーか」 ちぇっと舌打ちを一つした蝙蝠は、その時、自分の釣竿に微かな手ごたえを感じた。 「おっ!」 「ん?」 釣竿をしまいかけていた川獺が顔を向けたとき、蝙蝠は得意気な顔で竿を持つ手に力をこめていた。 川獺に獲物がよく見えるように―― 一気に釣り上げる―! チャポン… 「………」 「…ブッ…」 それを見て、川獺が思わず噴出したのは無理も無いだろう。 蝙蝠が憮然そうな顔で見つめる釣り糸の先には、なんとも可愛らしい小魚がかかっていたからだ。 顔を背け、肩を震わせている川獺を、蝙蝠は恨めしげに見る。 「……なぁに笑ってるのかなぁ? 川獺クンは」 「いやいやいやいやいや……なんとも可愛らしい……ブハッ!!」 「笑うな!!」 顔を赤くして怒鳴る蝙蝠を尻目に、川獺はとうとう声を上げて笑い出した。 蝙蝠はピチピチと動く小魚と笑う川獺を交互に睨み付けると、ややあって八つ当たりの様にその魚を魚籠の中に投げいれた。 勢いよく叩きつけられた小魚は、そのことを抗議するかのように魚籠の中で跳ねている。 「魚に八つ当たりすんなっての。で、どうする? もう帰りたいか?」 「〜〜〜絶対お前より大物釣ってやる」 「じゃ、続行って事で。場所、変えてみようぜ」 クックッと笑いながら川獺は立ち上がり、川上の方へと歩き出した。 蝙蝠は一度軽く地面を蹴ると、その背を追った。 *** 半刻ほどが過ぎた。 そろそろ日も傾き始め、何よりお互いそろそろ疲れてきたのだろう、蝙蝠も川獺も先ほどから一言も声を発していない。 と、言うのも、川上に着くまでのさして長くない道中に、蝙蝠が川獺を驚かしてやろうと、後ろから馬とびの要領で川獺を飛び越えようとしたのだが、運悪く二人ともバランスを崩して川へ落ちてしまっていたのだ。 その際、危うく今まで釣った魚が逃げそうになった事を、川獺は多少根に持っているらしく、蝙蝠は少しバツが悪そうだ。 しかし、黙っていたことが功を奏したのか、彼らはそれぞれ一匹ずつ、大物の部類に入る魚を釣り上げていた。因みに大きさはほぼ同じだったという。 一応、蝙蝠のあの小魚を含めて十二匹。ノルマは達したと言っていいだろう。 と、その時だ。ソレに気がついたとき、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。 「……で」 「で? 何だよ」 「アレを見て、どう思う?」 「少なくとも、俺は見たことねぇガキだ」 二人の視線の先には、ボロボロの服をまとった子供が一人、川端で何かを探しているようだった。 ガリガリに痩せた体からつっかえ棒の様に頼りなさげに伸びた二本の足を踝まで水に漬け、腰を曲げて枯れ枝の様な二本の腕を同じく水に突っ込んでいる。 周りには、他に人影はない。 そして子供の様子から、川で遊んでいる様ではなかった。 子供は真剣な面差しで水中を見つめている。おそらく、魚でも探しているのだろう。 二人よりさらに川上に居る子供は、まだ二人に気がついていないようだ。 しばし、その様子を見ていた川獺は、ややあって深く息を吐いた。 「里は狭いようで広いな……俺ぁ大体の奴の顔は覚えてるつもりだったんだが」 「たとえあのガキが知ってる奴のガキだったとしても、こっからじゃわかんねぇだろ。それに俺もお前も、他の連中の部下の顔まで完全に覚えてる訳じゃねぇだろうが」 「だよなぁ」 渋い顔をして川獺は空を仰ぐ。 真庭の里の困窮ぶりは、今更の話ではあったが、こうして目の前にその具体的な体現者が現れると、やはり居た堪れない。 自分たちは、一応頭領と言う身分上、極端に飢えると言う事はまずない。 しかし、末端の部下たちは? 彼らの家族は? 子供は、そんな彼らの現状を訴えかけているように思えた。 「戦争紛争絶えて久しく、正しく世は天下泰平、ってか」 「だな。最近仕事らしい仕事、入ってきてねぇもんなぁ」 「だからこうして釣りに興じられるって訳だしな」 「俺達でさえそうなんだ。他の奴らは……」 そこまで言うと、二人はもう一度顔を見合わせた。 互いの顔に見出したのは、「渋面」の一言で事足りる、そんな表情。 暫くの間流れた沈黙を打ち破ったのは、蝙蝠のカラカラとしたわざとらしい笑い声だった。 「きゃはきゃは。川獺、お前なんてぇ顔してんだよ」 「お前こそ。眉間の皺、にあわねぇぜ」 「お前も、無理やり目を細めたってその童顔じゃぁ迫力ないぜ」 「うるせぇよ。さて、一応、今何匹だっけ?」 「十二。一応目標達成って奴?」 「まぁな。これ以上やっても遅くなるだけだし、何か気力殺げるモノ見ちゃったし、帰るか」 「そうだな。きゃはっ。後で文句言われるのはヤだもんなぁ」 「そういうこと」 ニヤリと笑いあうと、二人は立ち上がった。 蝙蝠は「う〜〜ん」と言いながら両手を上に上げて伸びをし、川獺は点検するように魚籠の中に手をつっこんでいる。 先ほどまで見ていた子供の事など、まるで始めから眼中になかったのだといわんばかりの態度だ。 「お、蝙蝠。見てみろ、この魚……」 「ん? どれどれ……」 *** 「おーい、魚、足りなくね?」 数歩先を行く川獺に、蝙蝠は釣竿を振りながら茶化すようにそう呼びかけた。 川獺は振り向くと、軽く肩を竦めて見せる。 「釣りは気力と体力と時の運。中でも一番重要なのは時の運だからなぁ」 そういう彼の魚籠の中には、川魚が丁度九匹入っている。 「きゃはきゃは。違いねぇ」 「それにいいんだよ。魚組の奴らが魚食えば、共食いになっちまうだろ?」 「あ〜、なぁるほど。流石川獺。よく考えてるねぇ」 「へへへ。ありがとうよ、蝙蝠。ってわけで、問題はないよな」 「まぁな。それにしても、あの時手を滑らせちまったのは、ちょっとした失態だったんじゃねぇの?」 「仕方ねぇだろ? あんなに生きがいいとは思ってなかったんだよ」 「そうかい。ま、他の連中にゃぁ黙っといてやるよ。魚が逃げたコト」 「そりゃ有難いな。ま、今となって俺達に出来ることは、さっさと帰って生きのいい内にコレを調理してもらうだけさ」 「俺、焼き魚がいいなぁ〜」 「俺は煮物の方が好きだ」 「ばっか、川魚は焼くだろ、普通」 「嗜好の問題だっての。別に焼くのも嫌いじゃねぇし」 人口密度ならぬ、魚口密度が多少軽減された魚籠の中からは、魚が跳ねる音が微かに聞こえていた。 二人はケラケラと談笑しながら、それらがまだ元気なうちに調理できるよう、帰り路を急いだ。 川端にてうろついていた子供が、放置された二匹の鮎と一匹の小魚を見つけ驚きと喜びの混じった声を上げるのは、二人がその場を後にしたすぐ後の話だった。 |